2012年 09月 02日
『影の現象学』河合隼雄 |
ちょっと難しそうで、今まで手に取らなかったのだが。
タイトルに気後れしてはならない。
読んでみれば、ほっほー、なるほどー、という箇所が多い。
【データベース】
影はすべての人間にあり、ときに大きく、ときに小さく濃淡の度合を変化させながら付き従ってくる。それは、「もう1人の私」ともいうべき意識下の自分と見ることができる。影である無意識は、しばしば意識を裏切る。自我の意図する方向とは逆に作用し、自我との厳しい対決をせまる。心の影の自覚は、自分自身にとってのみならず、人間関係の上でもきわめて重要であり、国際交流の激しくなってきた今日においてはますます必要である。
私の影、昨夜見た夢も影の一部。
影の部分を認識することで、いくつか腑におちるこちことも出て来よう。
少なくとも私はあった。
ドシャドシャの雨の音を聞きながらの読書は久しぶりだった。
これからは読書にいい季節。
タイトルに気後れしてはならない。
読んでみれば、ほっほー、なるほどー、という箇所が多い。
影はすべての人間にあり、ときに大きく、ときに小さく濃淡の度合を変化させながら付き従ってくる。それは、「もう1人の私」ともいうべき意識下の自分と見ることができる。影である無意識は、しばしば意識を裏切る。自我の意図する方向とは逆に作用し、自我との厳しい対決をせまる。心の影の自覚は、自分自身にとってのみならず、人間関係の上でもきわめて重要であり、国際交流の激しくなってきた今日においてはますます必要である。
私の影、昨夜見た夢も影の一部。
影の部分を認識することで、いくつか腑におちるこちことも出て来よう。
少なくとも私はあった。
ドシャドシャの雨の音を聞きながらの読書は久しぶりだった。
これからは読書にいい季節。
by cs-nanri
| 2012-09-02 07:52
| 本がなければ