2012年 12月 16日
ゲド戦記、生と死の接点 |
長い時間をかけて『生と死の接点』河合隼雄著を読んでいる。
以前、読み始めたものの、難しくて中断してしまった本だ。
今はなんとか読み進められる。
昨夜、読んだ箇所に『ゲド戦記』が引用されていた。
老賢者が若者に
「する」のではなく「ある」
の大切さを説く。
365訓の中にも
DoingよりBeing
今の私の解釈は、行為ではなく、存在そのもの。
やがて老賢者は、若者に言う。
「お供として連れてきたと思っていたが、実はワシがおまえに導かれてきたのだな」
一方的な関係はないのだ。
河合センセはいう。
だれしも心の中に老賢者がいる、と。
ユングは夢に出て来た老賢者に名前を付けて、彼との対話を試み、多くの気づきを得たという。
私の中の老賢者はまだはっきりとは見えない。
でも、どうかいてください。
密かに名前だけは用意して、お待ちしています。
年末、心静かに平穏を祈りたい。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
以前、読み始めたものの、難しくて中断してしまった本だ。
今はなんとか読み進められる。
老賢者が若者に
「する」のではなく「ある」
の大切さを説く。
365訓の中にも
DoingよりBeing
今の私の解釈は、行為ではなく、存在そのもの。
やがて老賢者は、若者に言う。
「お供として連れてきたと思っていたが、実はワシがおまえに導かれてきたのだな」
一方的な関係はないのだ。
河合センセはいう。
だれしも心の中に老賢者がいる、と。
ユングは夢に出て来た老賢者に名前を付けて、彼との対話を試み、多くの気づきを得たという。
私の中の老賢者はまだはっきりとは見えない。
でも、どうかいてください。
密かに名前だけは用意して、お待ちしています。
年末、心静かに平穏を祈りたい。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
by cs-nanri
| 2012-12-16 07:27
| 本がなければ