2021年 02月 20日
コヤニスカッツィ |
昨日、歩いて5分もかからない郵便局に行った帰り、鹽竈神社に寄りました。ミョウコウさんが生きていたころ、猫楠舎にはもっとゴージャスな椿があったのです。
ミョウコウさんはこの椿の花びらを1枚ずつ数えて「すごい、すごい」と感激していました。 母は万事派手で目立つことが好きでしたから。
さて、タイトルの「コヤニスカッツィ」とは?
なにもかもが過剰となってバランスを失った世界をいうのだそうです。 (中沢新一『アースダイバー』) ある意味、この椿もコヤニスカッツかもしれません。
過剰になりすぎていないか? たとえばね、「愛」が過剰になると「圧」になるの。
情報があふれる今、あれもこれもと外に求めてしまい、目の前のものとちゃんと向き合っていないということがおこります。 まずこころを鎮めて、目の前のものがなにを伝えたいのかを問うてみる。 解決策を急いではいけません。
まず対話から始める。 もっとも大事なのは「聴く」こと。 そして、聴こえたことをひとつひとつ実践してみる。 一度にあれもこれもやろうとしない。
大抵の場合、答えは「うち」にあります。
ここに超八重椿があるのです。
そして、ほとんどの人は答えをわかっていながら、見ないようにしている。
なぜなら見るのが怖いから、自分を変えなきゃならないから。
でも、そこに向き合わないかぎり、課題は消えません。
課題はクリアするためにあらわれる。
困った問題のように見えるものは、自分への課題なんです。
少なくとも私の場合は常にそうです。
生きてる限り課題は尽きない、そう肚をくくっています。
話が「過剰」から外れました。
過剰になると、窮屈なんです。
過保護、過干渉、過敏、みんなそうでしょう。
だから、ゆるめる、ゆるゆるさせる。
息抜きする。
自分の好きなことをする。
いつもと違う場所に出かける。
好きな花を飾る(これ、私の好きなやり方)。
自分にかけた「呪い」を解く。
「○○でなければならない」
「○○すべきだ」
みんな呪いです。
ですからね、完璧主義の人は「過剰」に要注意ですよ。
自分だけでなく、環境に影響を与えているってこと。
ぴりぴり、きちきち、あせあせ……。
ゆるめましょう。
ゆるんだら、周囲もらくになります。
そもそも春はゆるむ季節なんです。
冬の間、硬く縮こまっていたからだが開く季節。
ですから、この時期、からだの変調があるのは当たり前。
ああ、からだがトリートメントして、春に備えているんだなぁ、と思えたら、ほら、氣がらくになるでしょう。
からだは頭より賢いんです。
からだを信頼しなくてどうします。
心配より信頼。
痛みや痒みなどの感覚は生きている証拠。
痛みがあるから危険を回避できるんです。
そうしたものを過剰に排除する社会になったから、今バランスをくずしているとも言えるでしょう。
こころを鎮める。
過剰を反省し、ゆるめる、ゆるめる。
春はゆるゆる〜。
春の小川はさらさらゆくよ〜こんな感じでにっこり笑ってみる。
ほら、元氣と勇氣がわいてきたでしょう?
今日もご機嫌元氣で参りましょう。
by cs-nanri
| 2021-02-20 10:28
| 散歩の途中で