2022年 05月 06日
母が毎日唱えていたお経 |
伊藤比呂美『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』、CD付きで、著者がお経を詩にしたものを朗読しています。
詩の朗読、迫力あるもんだなぁ。
そして、ミョウコウさんが毎日唱えていたお経の意味が初めてわかりました(そんな氣がするだけかも)。
おそらくミョウコウさんは深い意味など考えず、呪文的に唱えていたのだと思いますが。
それでも、耳に残るお経の心地よいリズム、これが今に繋がって来たか~、そんな感じでした。
カリフォルニアと熊本を行き来して、両親を看取り、夫を看取る過程で、筆者が出会ったお経。
なに言ってるかわかんなかったけど、物語だったのか~。
小さいころから聞いてきたので、けっこうからだに浸透してました。
ミョウコウさんの声が蘇る。
でもそのときには理解できなった。
あぁ、ここでもまた賢治につながった、と思いました。
今、毎月賢治と向かい合っているおかげで、筆者の言ってる意味が理解できる。
賢治のリズム感はお経からの影響かも、と考えました。
だってホント、耳に残りやすいリズムでつい声に出したくなるんですよ、賢治。
「声」には「超え」の意味があるって、言ったのは安田登さん。
なにかを超える
たしかに声質が変わるとき、なにかの境界を越えた感がありますよね。
「声変わり」も少年から大人になるときですもんね、納得だわ。
「大祓」とかも聞いていてものすごく氣分がよくなる。
サントリーホールで声明のコンサートを体験したことありますが、あれも超氣持ちよかった。
声、耳から入るもの、大事です。
by cs-nanri
| 2022-05-06 09:15
| ピピピッピッ!