2022年 05月 21日
サトクリフとル=グウィン |
雨降りの土曜日、静かな猫楠舎、軒から落ちる雨粒を飽かずに見ているヤムヤム。

昨夜、高校メイトとのZOOMで 「お互い ローマの息子だねぇ」 と言い合いました。
ローマの息子 ザックリですが「自分の居場所を探す」くらいの意味です。 小さいころ「私の居場所はここじゃない」と感じていた。 だから、東京に暮らすようになってやっと息がつけるようになったようなところもあり。 でも、約40年間東京のあちこちに住んだのち、氣がつけば和歌山県の古民家ですよ。 ここがついの住処になるかどうかはまだ分からない。
サトクリフ3冊目の前に、ふとル=グウィンを読みたくなった。 昨夜、読み始めたら、つい先日読了した樋口恵子の『老いの福袋』と比較している。 著者は二人とも80を越えた女性。
ショローとしては、ふたりの先輩から20年先のからだやこころの案内をしてもらっている氣持ちですわな。 でもね、決定的になにかが違う。 樋口氏は実用本なんだな、だから賞味期限が短い。 ル=グウィンのほうは哲学、だから時代を越えられる。 たとえばこんなフレーズがあった。
「若い者には、年寄りは務まらない」
ちょっと分かりかけの、この感じ。 知的な瞳に憧れる。 
なんてかっこいいんでしょう!
彼女がポートランドのシェルターの話を書いている。私も行ったことある場所。 それだけで「やっぱり縁があるんだな」と思い込む。 この単純さ故にこれまであっけらカーンと生きてこれたのだと思う。
でもね、いいように、いいように思いこむのは悪いことではないと思う。 かつてはだまされることもあったけれど、今はそこそこ立ち止まれるようになった。 少なくとも、だまされないように用心し過ぎてなにも挑戦しない人生ではない。 検査し過ぎて病氣を引き寄せることない、とも思う。
話がそれたが、ル=グウィンを読んでいるときは、ル=グウィン化するし、サトクリフを読んでいるときはサトクリフ視点を持つ。 夢が顕著で、一昨晩は奴隷になってガレー船を漕いでいた、ってのめり込みすぎ、ハハハ。 これが読書の醍醐味ともいえる。
ル=グウィンが「YouTube」の麻薬性について記述している部分を1時間前から探しているが、見つからない。 これが年をとるということかもしれない、な。 ひょっとすると、夢の中で読んだのかもしれない。 うすうすYouTubeばっかり見てたらバカになると頭の隅で思っていて、ル=グウィンに言ってもらえたら、YouTubeを見る頻度を減らせると、期待している?
一昔前は「テレビばかり見ているとバカになる」、っていったもんだ。 「漫画なんか読んでるとバカになる」とも言われた。 バカになったか? たぶんバカになったんだろう。 今もYouTubeやネットフリックスを見ているのだから。
時間がいくらあっても足りない今。 コロナ自粛でいっそう時間が足りなくなっている。
昔は時間が有り余っていたのに。 あのころの時間をためておいて、今使えたらいいのにね。 はぁ~。 いや、こんなこと書いてる間にル=グウィン読もうよ、自分。
皆様もこころ豊かな週末を。 お付き合い、ありがとうございました。
昨日は畑仕事と干した茶、ドクダミ、ヨモギを煎る作業を終わらせておいてよかった~。
さて、こんな日は本を読もう。
サトクリフの本は2冊読了し、すっかりサトクリフ脳になっております。
なにが起こるか展開が予測ができるようになる。
こう来るだろう、と思って読んで、その通りになれば悦に入る、その逆でも嬉しい。
サトクリフの描く世界の主人公は過酷な人生を歩む。
これでもかこれでもか、と苦難を強いられる。
その都度、打ちのめされる。
で、どん底から、無意識にでもわずかな1歩を踏み出す。
そうしたとき、まわりがほおっておかない。
これだな、と思います。
ひとりじゃない。
それがヒトでなくて、犬だったりするわけですよ。
それでもひとりじゃない。


by cs-nanri
| 2022-05-21 10:19
| 本がなければ