2022年 05月 22日
断食ちぃちぃに寄り添う |
数日前、ちぃちぃが食べなくなりました。
焦ります、やっぱり。
で、ちぃちぃにだけ「とっておき」をこっそり出したりしますが、食べない。
「そっか、食べたくないんだね、わかった、ゆっくりお腹を休めてね」
今でこそ、こう言えるようになった。
それでも氣になります。
「黙って見守る」のは、けっこうしんどいもんです。
いろんなことを考える。
たいてい悪いことを考えちゃう。
ちぃちぃがいなくなったら……。
胸がつまる、呼吸が浅くなる。
イカン、イカンと自分を叱る。
こうして、ちぃちぃがいかに大切な存在かを思い知る。
当たり前の存在に甘えていた、ごめんなさい。
何かをしていても、こころのなかにちぃちぃの生氣のない目がある。
ちぃちぃ……。
一方で「放浪の22日間を生き延びたんだから大丈夫」とも思っている。
とはいえ、あれから7年、ちぃちぃだって年をとった。
お肉はたっぷりついてるけど、な。
いや、やっぱりこの年で太りすぎはいかんやろ、とまたしても、あれやあこれや考える。
無理して食べてもらおうとしなくなってから、2日めの朝、
「なんり、腹へった、めしくで」
ちぃちぃが飛んで来た。
「おぅおぅ、めしだな、めし出すぞ~」
一氣にハイテンションです。
いつも腰パンプリーズも復活した。
パンパン、パンパン、パンパカパーン。
雲間が晴れたよ~。
おかえり、ちぃちぃ。
とまぁ、こんなことがあったんです。
似たような経験をした方も多いかと思います。
「全力でなにもしない」ことはかなり苦行です。
ただ、ですね、心配はやはりなにの役にも立たないばかりか、猫の負担になりかねない。
そういうときって、負のオーラを発散してますからね。
難しいけれど、これに耐えるのも猫さんからのギフトではないか。
ちぃちぃは「ほっといてくれ」と言ってました。
「たまにはぐったりさせてくれよ」
ぐったりする自由もあっていいはず。
私もたまには「なーんにもやりたくなーい」というときがありますもん。
食べたくないときは食べない。
今猫たちに、食べたくないときは食べない自由があるでしょうか?
案外、ないような氣がします。
様子を見つつ、無理じいしない。
猫を尊重する。
猫の生命力を信頼する。
いまだに難しいですが、毎回かくあるよう努力はしています。
ちぃちぃの断食は野生動物としては真っ当な行為です。
消化器官を休めて、からだ全体のバランス調整をしたとも思える。
私たちは、猫のそうできる自由をしなやかに提供できるようでありたい。
過干渉になって、猫の生きる力、自然治癒力を奪うようなことは避けたい。
なかなかできないけれど、そういう意識がある、ないでは違うと思います。
コントロールはできない。
最終的には彼らに任せるしかない。
ですから、万が一のとき「いきるちから」が存分に発揮できるよう、日頃から余計な介入は極力控える。
これが難しい。
むずかしいからやらないのではなく、やろうとする。
この「なにもしない」努力はちゃんと猫に伝わる。
「そっとしておいてくれて助かるよ」
そんな感じです。
毎回迷ったり、悩んだりするのも猫からのギフトです。
こころのひだひだが増えるほど、細やかな氣配りができるようになる。
ひだひだはそれなりに悲しんだり、苦しみもがいた末にしか育たないんじゃないかな。
悲しみや苦しみを避けないこと。
これがあるから、歓びや感謝のこころが敏感になるんじゃないかな。
ちぃちぃ、今日も元氣でいてくれてありがとう。
皆さん、今回もお読みいただきありがとうございました。
実り多い日曜日でありますように。
by cs-nanri
| 2022-05-22 08:55
| 猫師匠たち