この年になっても、衣類に漂白剤を付けてしまうのです。
漂白剤を使うとき、エプロンをするとかできないんですね。
結果、お氣に入りの洋服に白い点々を付けてしまう。
大学時代、買ったばかりのワンピースに漂白剤の点々を付けてしまったことがあります。
悔やんでも悔やみきれない。
未だに悔しい。
今朝は離れの流しをきれいにしようと思い立って、漂白剤を使いました。
レトロのタイル流し、探しに探して購入したものです。いまのところ、点々はついていないと思いますが。私のことですから安心できません。あっちゃー、こんなところに?なんてことはしょっちゅう。
きれいにして、次の方にお渡ししたいので、台所や押し入れもせっせと磨いています。やりながら「普段からこのくらいきれいにすればよかったのに、ジブン」と突っ込んでます。きれいになると氣持ちいいですもんね。
洗濯槽なんかも徹底的に掃除すると、晴れ晴れします。炊飯器も磨き上げたら、玄米ご飯の味がアップした(ように感じる)。猫トイレの丸洗いした直後の感覚、スッキリ―。
今朝は庭木の剪定作業もしました。私、剪定鋏を持つと、そいらじゅうなんでも伐ってしまいます。止められない、止まらない、オートマチック状態。そんなわけで猫楠の庭は定期的に風通しがよくなるのです。
オープン!ひらけ!寺に育ったせいか、外に向けて開けっ放しが当たり前。これって、一番の防犯らしいですね。逆に閉じて守りに入ってしまうと狙われる。
そりゃそうです、なにか隠していると思ったら、ヒトは探りたく、盗りたくなります。
漂白剤の失敗から話が逸れました。漂白剤で落とせる汚れは落としたらいい。でもどんなことをしても落とせない汚れがある。その汚れをも己の一部として生きていかなくてはならない。汚れを排除するんではなく、それを特徴として。チビのお顔がそのままでかわいいように。