2022年 09月 08日
森田真生『僕たちはどう生きるか 言葉と思考のエコロジカルな転回』 |
数学者に名文家が多い。
岡潔の文章、ぜひ読んでみて。
そして、現代の若き数学者、森田真生さんのこの本。
うん、うん、と深く、頷きながら読んでいる。
若い世代にこんなしなやかな精神をもった人がいるって、明日への希望と勇氣がわいてくるなぁ。
43ページ 稲垣栄洋『雑草はなぜそこに生えているのか』からの引用があって、ハッとした。
~雑草は、踏まれたら立ち上がらない。よく踏まれるところに生えている雑草を見ると、踏まれてもダメージが少ないように、みんな地面に横わたるように生えている。踏まれたら立ち上がらない、というのが、本当の雑草魂なのだ~
コロナ禍において、京都に暮らす森田さんは幼い息子さんと庭仕事を始めて、そこでいままで氣づかなかったものたちに出会う。
このワクワク感、田舎で毎日土と触れ合っていると、自ずと彼が感じたであろうものが想像できる。
ニンゲンではない他者、猫や植物や、風や雨や、お日様といったものに対するあふれ出る思い、っていうのかな。
そして、やはり宮沢賢治が出てきた。
『セロ弾きのゴーシュ』のゴーシュ、毎晩セロの稽古をしていると、やっかいな動物たちがやってくる。
いやいやながらも、彼らに付き合うゴーシュ。
ゴーシュの排除しない生き方。
中村哲さんもゴーシュを引き合いに出していたですね。
雑草魂、踏みつけられたら立ち上がらないで生きていく。
なるほどなぁ、って思いません?
森田さんの引用する本、すべて読みたくなる、これはちょっと危険ですが。
それにしても数学者の文章は明快である。
言葉によって、証明しなければならないからだろうか。
鳥瞰する視点をもっているからだろうか。
言葉も鳥瞰する目も持たない凡人は、せいぜい森田さんが読んだ本を追いかけるくらいしかできない。
こちらはスーパーねこ友を追いかける子にゃんこ。
by cs-nanri
| 2022-09-08 11:29
| 本がなければ