視界の話 |
今朝の話は、毎日なにを見て暮らしているか、について。
目の前には、直径150cmの木製円テーブルに乗ったデスクトップパソコン。
前述したように、引っ越しの際持参したノートパソコンともう一台のデスクトップパソコンは処分しました。
1日のうち、このディスプレイに向き合っている時間はけっこう長いですね。
なるべく余計なものを置かないよう心掛けております。
今年、ペン立てをやめて大分スッキリしました。
テーブルは猫楠舎でCaféをやる際に和歌山の工房で作ってもらったもの。
8人座れる大きさで、このテーブルでほとんどの作業が可能です。
ちなみに同じ工房で買った小さいサイズはダイニング用として使っています。
触った感触が温かく、柔らかい天然木。
そして角がない円形。
スチール製の机とは明らかに違う。
このテーブルで書く内容もおのずと変わっているのではないか、と思うんです。
余談ですが、テーブルカバーはしません。
ファブリックは埃を吸いやすいですからね。
糸島に来てからはランチョンマットも止めました。
ずっと布好きでしたが、
「今後きちんと清潔を保てるか」を考えたら、
「無理~」「めんどくさい」に軍配が上がり、布系とサヨナラすることに。
正面の壁には、数字だけのカレンダーと音のしない円形の時計。
家じゅうでカレンダーはこれひとつだけ。
カレンダーと時計は時間の象徴ですよね。
なので、時間に縛られないよう最小限にしています。
さて、ここからが本題です。
前置きが長いよッ。
このテーブルに座ると、左側に外が見えます。
1ヶ月くらい前に、ここからの風景が猫楠舎とのおおきな違いじゃないかと氣づきました。
それはなにかと尋ねればベンベン♪
遠くに山並みが見えるんです。
この山並みが朝に夕にさまざまな色に変化していく。
朝まだ浅き時間帯のうっすらとした朱色の初々しさ。
晴れた日、雲一つない青空を飛翔するトンビの姿。
お日様が沈んでいくフィナーレに彩られる山々。
パソコン画面から目を離して遠くを見る、しかもそれは美しい、となればおのずと口角が上がります。
視界に家が少ないのもさいわいです。
猫楠舎からの視界は庭がほとんどを占めており、遠くを見る感覚が薄かったんですね。
※猫楠舎自体は「四神相応の地」でものすごいパワーがある場所です。
今の家では視野がぐーんと先まで伸びた感じなんです。
これって、たぶん目にとってもいいことだと思います。
よく「疲れ目に緑」と云われていますが、この緑も近くの緑だけでなく、遠くの緑もあれば効果倍増でしょう。
家は小さくなったけれど視界は広がった。
おっと前言撤回(最近の得意技)、「小さくなったけれど」はニュアンス的にちょっと違う。
自分の分にあった居住空間を求めて、意識的にサイズダウンをはかったわけですから、
「自分に見合うサイズの家にしたら、思いがけなく視界のよい環境だった」
がより心情にフィットしますな。
ん、待てよ。
内覧段階で無意識にこの風景もプラス効果に数えていたかもな。
とも思います、まぁ、例によって自己肯定感の強いたちですから、うふうふ。
ついでに言うと、散歩コースも視界ひろびろなんです。
山々に抱かれた田んぼも、玄界灘の海辺も、なんか全体にすっこーんとした解放感がある。
こういう場所で日々暮らしていたら、そりゃ考え方も変わります。
糸島が子育てファミリーに人氣なのも分かります。
今、見えているもの、家の中だけでなく、外環境をもう一度見直す。
これ、案外盲点ではないかと。
「住環境」って、どうしても家の中に集中しがち。
でも実は土地のパワーって、かなり影響力がある。
実際、キャットシッティングで相当数の家を訪問していた経験からもなんとなく体感できるんですよ。
この「なんとなく」はかなり重要。
ワタシはこの「なんとなく」を無視しないことで生き抜いた感があります、はい。
土地がなんとなく暗いとか、なんとなく汚いとか、なんとなく澱んでるとか、ありますよね。
そういう場所には近づかない。
言葉では表現しづらいけれど、からだに違和感(ゾワゾワ、わさわさみたいな負の感覚)があるような場所は避ける。
まぁ、コレ、ヒトも同じですわな。
コレ、ZOOM越しでもちゃんと伝わる。
終わった後、妙に疲れるとか、からだが冷えるとか、ホントにからだは正直です。
ただ、誤解しないでほしいんですけど特定のヒトがヤバいってことじゃありませんよ。
あくまでワタシとそのヒトの波長が合わせにくい、ということでありますからね。
ですから、口外する必要なく、静かにフェードアウトすりゃいいんです。
例によって、あっちゃこちゃ寄り道して今日も話が長くなりました。
最後までお付き合いいただいた皆様には感謝です。
今日もご機嫌元氣な一日でありますように。

