タオちゃん、名前を認識する |
おはようございます。
雪がぱらつき、北風がうなっている日曜の朝、皆さんはいかがお過ごしですか?
昨日から「雪予報の明日は巣ごもり」と決め、食料と水の調達を済ませていました。
初雪待ちのため、4時起床。
韓ドラではよく「初雪」の縁起担ぎ(恋愛)が出てきますが、このショローは単に薪ストーブを焚くタイミングを図るために。
薪ストーブの薪の継ぎ足しに関しては日々省エネなやり方を見出しつつあります。
最初は、メンテナンスしてくれたストーブ屋さん(薪もここから買った)の言うとおりにやっていました。
焚きつけの松ぼっくりは2つまでとか、中くらいの枝をたっぷりとか。
でも、火つけの基本ができれば、
「私はこれでいい。これで行く」
という独自路線でいいんじゃないっすかね~。
私の中に「ヒトと同じことをするのは面白くない」というあまのじゃくが居ることも認めますが……。
一応、世の中の顔色なんかも見ながら、自分の中のあまのじゃくともうまく付き合っていく。
で、このあまのじゃくとのコラボがうまくいくと楽しいんです。
こんなのもあり、
あ、これもいいかも?
お、乗って来た、いいね、いいね~。
ジャズっぽい。
制約の中に自由を探したくなる。
料理もテキトウ、その場限り、あるものを組み合わせで「なんちゃって」風を作ります。
レシピ通りに作るのはホント最初だけですね。
いい加減ちゃいい加減。
でも自分にとっての「良い加減」なら、万事オッケー。
鵜呑みにするんじゃなく、参考にする。
たぶん、皆さんもそうだと思います。
「一般」「普通」「平均」なんて実態がないものですし、そんな幻想の中に入って安心するヒトの氣が知れない、ハハハ。
私はそういうものに振り回されたくない。
さて、まわりの目を氣にしない代表的存在は子にゃんこ。
約4か月前、手のひらサイズで現れた白黒にゃんこはすくすくと育っておりまする。
糸島引っ越し前に白黒柄から陰陽を連想した「タオ」という名前を付けましたが、
「タオちゃん」
と呼んでも見向きもしませんでした。
猫の本能には「名前を呼ばれたら返事をするや振り向く」はないですからね。
固有の名前がつくというのは、ニンゲンと関係性をもった猫だけのものかしらん。
ニンゲンから名前を付けられた猫は、名前を呼ばれたらそれに相応の反応をして、ニンゲンとうまくやっていく、みたいな「ヒトたらしマニュアル」があるかもね。
元へ、最近タオもやっと名前に反応するようになりました。
「ある日突然」の「ある日」はたぶん昨日だったような氣がするです。
これまで、椅子に座っていると太ももに前脚をのばしてくることがありました。
しかも「ちょいちょい」なら可愛いんですが、このお転婆さんはガリッと、シャキーーンと来るんですよ、突如として。
これはコワい(冷や汗)。
再三、
「痛いのと、心臓に悪いからやめてください」
とお願いしていましたが、聞いてもらえませんでした。
まぁね、それをさっぴいても、有り余る笑いを提供してくれるので、「歓びの代償」として耐えていたわけです。
それが、昨日小袋のナッツをつまみながら、上橋菜穂子『風と行く者』を読んでいたら、ひょいと膝の上に乗ったんです、タオちゃんが。
オヨッ…!
と思ったけど、知らんふりしていた。
このあと、どうするのかな?
と本を読むふりして、あまり意識を向けないようにして目の端で見ていると、私の顔をまじまじと見上げてから、座る姿勢をとったんですよ。
うっひょー、やった~。
知らんふりを続けながら、ニンマリニンマリでございます。
ものの数秒だったけれど、なんかそれがきっかけだったように思うんです。
今朝、彼女の背中に向かって名前を呼んだら、
「ん?なぁに? 呼んだ?」
と振り返りましたから。
先日不妊手術の予約をとったものの、捕まえることができずに断念しました。
その後、「今無理やり捕まえて手術させなくてもいっか~」と考えを切り替えて、安穏、あんのんやね~といった感じでいたのが、案外功を奏したかも?
ここで野心を抱いてはならない。
からだを触らせてくれるようになったり、ナデナデできるようになったりしたところで、いい氣になって、
「隙見てガッシとホールドしてキャリーケースに入れて、不妊手術だ」
なんてちょっとでも考えたら、タオちゃんはぜぇーたいに近寄ってこないように思う、うん。
ゆるゆると行きましょい。
名前を覚えるまでだって数か月を要したわけですから。
時間はかかっても覚えてくれたんですから。
「ヤムヤムは早かったのに」と比べても意味がない。
夜中布団の中で夏子と話をしていてふと思った。
タオちゃん、私の晩年パートナーになる可能性大だわね。
なっちゃんはもういないだろうけど、なっちゃんみたいに話せるようになるかしらね。
きっと、なるわね。
そのとき、タオちゃんとどんな話をするかしらね。