南里流食 |
今朝は壱岐産ウニで炊いたウニごはん。
暮れに、サカグチが苦労してゲットしてくれた佐賀の新海苔といただきました。
もうね、自然に頬が緩んじゃう、くくく。
倖せは今ここにあるわ~。
食べたいモノ、美味しいものから食べる。
その食べ物の旬を味わう。
おいしさに感謝することが、食べ物への最大の敬意では?
それに食べてなくなれば、また入ってくるもんなのです、不思議と。
分かち合いをしないでケチると腐らせる。
「ケチと臆病は大成せず」なんですよ。
だから、取って置かないですぐ食べる。
ワタシ、ホントにすぐ食べます、即食べる。
なので、ものを腐らせたことがない。
食べ切れないときはどんどんお福分け。
食材も調味料も使い切ります。
食べ切るように食事を組み立てるのは頭の体操になりますし。
あと、食べるときは食べる行為のみに集中する。
音楽くらいは流しますが、パソコンやスマホ画面を見ない。
食べ物に対する礼儀を尽くしていると食べ物から好かれる(ような)。
食べ物の循環がいいと食べ物に困ることがない。
これさえあれば生きていけます、きっと。
ランチタイム後、サカグチと我が家で薪ストーブを焚きながら再びおしゃべり。
ちぃちぃ、トーマ、わこは愛嬌を振りまき、人見知りだったヤムヤムやタオ子も顔を見せるようになってきた。
よか、よか。
夕方、行ってみたかった近くのちゃんぽんの店を思い出し、
「ちゃんぽん、行く?」
「行きましょう!」
なんと、打てば響く反応の良さよ。
ところが、糸島時間は夜が早い。
5時閉店なのでした。
「いっそ唐津に繰り出す?」
「いいですねぇ、猟師村なら、ここから20分です」
ってことで、夕暮れのなか、食いしん坊ふたりは美味しいものを目指したのでした。
さて、到着した「漁師村」、作りはファミレス風で一瞬不安になったのですが、予想を裏切る美味しさでございました。
コース料理ではなく、一品料理を選んで正解。
アジの刺身は、食べ終えた骨や頭部分を揚げてくれまして、残すところがない。
イカの活きづくりなんかも残りを揚げ物や煮物にして食べつくす。
九州の食文化とワタシは似ているかも、と思いました。
すっかり満足した帰りの車の中で、
「なにが一番、美味しかったか? せぇの」
「鯛の煮つけ」同時。
「2番は? せぇの」
「アジの刺身」同時。
「3番、せぇの」
「タコの唐揚げ」同時。
「あはは、おんなじだねぇ。牡蠣フライは衣が厚かったもんね」
「たしかに~」
食の好みが似ているというのは、けっこう大事な要素だと思います。
「三食ごはん」など見ていてもそうですが、食コミュニケーションにおいて、「食べられない」ものが少ない方が絶対有利ですし、「おいしい」基準値が合っていると断然口福度が増す。
ワタシはいまのところ、「食べることに興味がない人」とは付き合えそうにない。
食べることが好きな人は好奇心旺盛な氣がします。
自分で料理する人ならなおいい。
料理は創意工夫と段取り、あとかたずづけに至るまでストーリーそのものですからね。
自炊ときどき外ごはんで、いろんな刺激を取り入れながら、自分の食も変化させていく。
料理好きだった母は、晩年まったく料理をしませんでした。
おそらく、ワタシもいつか自分で料理をしなくなる可能性がある。
そのとき、近くに食べたいと思う料理を出す店があると、こころ豊かにいられると思うのです。
もっとも若いときから、どこに暮らしても行きつけの店は必ずありました。
糸島でも当然行きつけの店を発掘していきますよ~。
さて、3連休、皆様、ご機嫌元氣でありますように。