『ほの暗い永久から出でて』上橋菜穂子・津田篤太郎 |
おはようございます。
夜間、
雨の音が聞こえるなぁ…
と思いながら寝ていていました。
朝起きて、すぐカーテンを開けて(小3脳)外を見ると、路面が濡れていて、
あぁ、やっぱり雨が降ったんだ、
と、変な満足感を味わいました。
それにしても異様に暖かい。
エアコンなしで過ごせるって、どうよ?
こういうときほど体調調整、しっかりと。
ワタシの場合、意識して鼻呼吸と、食べ過ぎないようにします。
上橋菜穂子・津田篤太郎『ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話』(文藝春秋)
図書館で借りたのですが、アンダーライン引いて、書きこみしたい本です。
津田さんは膠原病専門のお医者さんで、以前『病名がつかない「からだの不調」とどうつきあうか』という本を読んでいました。
今回、上橋さんとの往還書簡で改めて、津田さんの知の森の多様さ、奥深さに感銘を受けたショロー。
さっそく図書館に他の書籍もリクエストする。
漢方の本を2冊出されていて、上橋さんとお母さまも津田さんが処方された漢方で救われたそう。
私は今のところ、漢方を飲む必要性は感じていないけれど、引き出しに入れておいてもいいなと直観した次第。
なんのために生まれ、なんのために生き、なんのために死ぬのか。
人は、答えが出ないとわかっている問いを、果てしなく問い続けるような脳を与えられて生まれてきたのでしょうか。(上橋)
なんのための「生」なのか、という問いは、いささか弱音のようにも聞こえるのですが、この弱音こそが、優れた物語の書き手である上橋さんの「創作の源泉」であるように私には見えてくるのです。(津田)
上橋作品を一通り読んだ今、このやりとりが腑に落ちる。
まさに、生と死を巡る対話。
私にとって、上橋さんの文化人類学者として一面、アボリジニに関するフィールドワークをされていることは、物語に没入するための大きな要素である。
作品から感じる「見たものをウソ偽りなく」の姿勢だ。
ワタシごときが云うのは憚られるが(でも云う)、キャットシッティングの現場では往々にして、本に書かれていることから外れた現実に出会う。
机上論は通用しない。
これがシッティングをして分かった最初の教訓である。
一般的に言われていることとは違う現実から目をそむけない。
それを分かりやすく、猫と暮らす人たちにお伝え出来たら……。
私が本を書く目的のひとつだ。
ただ、いったん刷り込まれた意識を変えるのは難しい。
人はそうそう変わりませんからね。
あ、それで上橋さんは物語という手段を使っているのか。
それも児童文学、なるほど。
まだ頭もこころも柔らかいうちなら、抵抗なく違った視点が持てますもんね。
物語にして、ものの本質を伝える。
私のこころの師・河合隼雄センセも物語の重要性を一貫して説いていました。
そうそう、上橋さんは「河合隼雄賞」の選考委員なんですって、これまた嬉しい。
猫と人の生と死の物語、生と死のあわい、そういうのを書きたいなぁ。
(こっそり、つぶやいてみました、えへっ)
この往還書籍を読むと、今も上橋さんがあがいたり、迷ったり、悩んだりしていることが分かる。
まぁ、もちろんそのレベルが違いますがね。
それに対する、津田先生の押しつけがましさの一切ない導き方が素敵なのだ。
読んでいて快感しかない。
実はまだ「まぁるい虹」の原稿は終わっていません。
こういうときもあります。
これはこれで必然。
おかげでいろんなことを考えることができる。
逆らわず、でも今を一生懸命。
今日もお読みいただき、ありがとうございます。
皆様、今日もご機嫌元氣な1日を。