2023年 03月 02日
内田樹『死と身体』、今朝の夢 |
おはようございます。
内田樹『死と身体 コミュニケーションの磁場』を5年ぶりに読み返しています。
書き込みがあるので、5年前と分かったのですが、内容はものの見事にまったく覚えていません。
この忘却力、我ながらたいしたものです、なはは。
なんでも自分に都合よく考える性分なので、顕在意識は忘れていても、潜在意識のどこかには浸み込んでいると思うことにしています。
さて、本書の「夢の文法」にこんな文章がありました。
まず、夢が生存活動に必須である意味↓
夢には外界から到来して睡眠を妨げる刺激に対して、その刺激を鎮めて、睡眠を持続させるような「物語」をつくる機能があることが分かっている。
次に、夢を見ている状態↓
睡眠時には覚醒時とは違う仕方で自律神経系が作動し、呼吸も体温調整も筋肉反射も覚醒時とは違う仕方で機能している。いわば寝ているあいだ、人間とは一時的に人間とは別の生物になっている。
コレって、ものすごく面白くないですか?
ワタシは読みながら、
「あーーーぁ、だからかぁ~! なるほど、そう考えればわかるわぁ」
と思いました。
夢で見たことをそのまま受容できないのは、夢を見ている私のからだがニンゲンじゃないからなんだわ、と。
ワタシであってワタシでないからだが、夢を見させて、意識とからだのバランスをとってくれている。
おお、なんとありがたいことでせう。
たまに、どう考えても「猫目線」ちゅう夢を見ることがありました。
そういう夢はたいていファンな感じ、ワクワク、ルンルン、たのしい~。
あぁ、傍目からしんどそうに見えても、彼らは大丈夫なんだなぁ、と思えました。
これって、ニンゲンの考え方に縛られていると、夢が理解できないってことにもなる。
でも別にいちいち解釈しなくて、単に夢は安全弁と思ってたらいい。
放っておいても氣になる夢は、自然と覚えているし、覚めてからもあれこれ想いを巡らす。
この巡らす時間がきっとポイントなんだわ。
何を考えるかの内容はたいして重要じゃなくて、ちょっと立ち止まる、このことでしょうね。
今朝の夢。
ミョウコウさんが田舎から私のもとに引っ越しすることになって、異母兄弟(現在はつきあいがない)が4人集まってくる。
「お母さん、食器棚は持って行かないからね」と私。
「食器棚が3つもある。俺、ひとつ、もらっていい?」と長兄。
「いいけど、これ高かったんだから2万円くらいはもらわないと」と私。
(おいおい、タダでやればいいんじゃん、と突っ込むワタシ)
「食器棚は持って行く」とミョウコウさん。
「ダメだったら、使う食器は限られているんだから食器棚はいりません。備え付けの収納で十分です」と私。
(このあたりは、今の私そのものなんですが……)
目覚めてから、
なんで今ごろ、死んだ長兄が出てきて、母の食器棚を欲しがる?
と思いました。
他の3人のきょうだいは、氣配はあったもののなにも言いませんでした。
どちらかというと、食器棚が主役だったかも?
夢を見ているのがニンゲンじゃない(らしい)生命体なのですから、結論は出るわけもないのですが、おもろいです。
私のなかの別の生命体が見せてくれる夢。
ナンリヒデコのからだで体験していることが土台になっているけれど、視点が違う。
内田センセがいわんとしていることともずれていると思うけれど、こんなふうに考えを膨らませてくれるのが私にとっての読書の愉しみなんです。
昨日は朔日でしたので、白山神社の月次祭に参加してきました。
前回は足裏にホカロンを貼っても、しんしん、ズンズンと冷えが這い上がってきましたが、今月はもうそんなこともなく、こころおだやかに神事に没入できました。
30分間の式が終わると、控室で皆さんとお茶をいただきます。
この間にお神酒のお下がりを分けてくださる。
こういう一般に開かれたコミュニティがあるのは貴重だなぁと思います。
正直キチンと毎回参加するわけでなく、氣がむいたときしか行かないのですが、変わりなく接してくださる。
私もこういう対応ができるショローになりたいものです。
「人生死ぬまで発展途上」
コレが最近のオノレ言葉、さぁ、今日もご機嫌元氣な1日を。
by cs-nanri
| 2023-03-02 09:22
| 本がなければ