學びを歓びとする |
おはようございます。
昨日は午前中に沼ゾウ君とお金の勉強、夜は糖尿病猫さんの介護に関するZOOMがありました。
先週末のZOOMは通信が不安定で、途切れたり音声が聞こえなくなったりしてましたが、昨日はスムーズで一安心。
原因が案外天候だったりするところが、面白い。
とはいえ、トラブったとき、
「うちに問題があるのでは?」
と考え、あれこれ解説策を調べる。
機械オンチにとっては、これでけっこう消耗する。
猫の森のときは、機械に強いくぼに120%頼り切っていた。
なので、なにも學ばなかったんですよ。
ひとりになってから、通信やパソコン関連を、ぼちぼち、ちっこりちっこりとやってるわけです。
あぁ、そーいうことだったのか~が山盛りでございます。
さいわい今はYouTubeにたいていの解決策がある。
ただ、検索する際の「質問力」、これがキモですね。
最近チャットAIが氣になっていますが、使うにはやはり検索する際の語彙力。
語彙力で答えの質が変わる。
ヒトがヒトたらしめているのは、まさに言葉を使うということ。
今、この瞬間にも新しい言葉を生み出し続けている。
ある意味、驚異ですわ。
今月は確定申告と年金のことで、ない頭を使っておりまして。
税金の徴収はもれなく来るけど、恩恵を受けるには自己申告が必要なんですよね。
こういう社会においては、知らないと損なことがある、それもけっこう数ある。
こういう手続きの煩雑さには、ほとほと呆れます。
いやがらせじゃないか?
「もう、いいや~」を狙ってるんじゃないか?
ああ、もぉ!
しかし、文句言ってもなにも変わらない。
己の暮らしを守るには勉強するしかない。
ってことは、いくつになっても勉強、死ぬまで學び。
これを苦に感じるか、歓びとするか、ですな。
教育の大きな目的は、「學ぶことの楽しさ」を身につけることだと思うんです。
これが生きていく上でのなによりの財産となる。
過程でたーくさんの失敗と無駄をする。
失敗しても、それをデータとして捉えたら、次のトライに活かせる。
無駄も同じで、いずれも痛い想いをすることで、たんに頭ではなく、身に刻み込むのではないかしら。
で、こうした失敗と無駄に、花を咲かせ、実を結ばせるには、學び(自覚)の感覚が要る。
何度も繰り返している段階ではこれがない。
一度でクリアが望ましい。
同じ失敗をしない。
たとえば猫さんの病氣も同じかもしれません。
決まって同じ病氣にかかる家というのがあって、それは猫さんからのサインにもかかわらず、ヒトが學んでないということでは?
己のからだについても同様。
負の状態が繰り返すなら、そのパターンから抜け出す。
傍から見ていると、たいていは己に呪いをかけている。
「ずっと、こういう状態だから仕方ない」
つまり、無意識にそういう状態が好き。
己に呪いをかけながら、整体に通う。
ワタシはこれこそが最大の無駄だと思いますけどね、ハハハ。
思い付くままに脇道、寄り道、回り道、失礼しました。
己にかけている呪いを解いてね、という話。
今日もご機嫌元氣な1日を!