内田樹『街場の日韓論』 |
昨日の散歩はビーチクリーン。
韓国からの漂流物をよく目にします。
先日読み終わった内田樹編『街場の日韓論』、読んでよかったです。
日本のことも、韓国のことも、なんにも知らないまま生きてきたなぁ、
と、ほとほと自分に呆れますが、知らないままよりずっと良かった。
韓ドラ史劇では日本の朝鮮半島占領下などの話も描かれて、これまではなんとなく違和感があったのですが、歴史背景が頭に入ると大分見方が変わります。
私たち世代は現代史の時間がほとんどなかった。
けれど、それで「日韓の歴史を知らない」というのはあまりにも怠惰すぎました。
いったい「国」とはなんなんでしょうね?
人類はなにも学んでいないのかしら?
反省は反省として、自虐し過ぎることなく、よりよい方向性を見つけることを模索し続ける。
今、日本はなんだかとても危うい、と感じているのはワタシだけではないと思います。
だいたい大きなスポーツイベントに国民が浮かれているとき、シラーッと重要案件が通過してしまう傾向があると、たぶんこれも内田センセの本で読んだことがある。
WBCとかで盛り上がっているまさに今、注意しなきゃ。
国会が意味を持たず、抑止力が働かなくなってだいぶ経ちますよね。
いいのか、これで?
それは選挙に行かない(よう教育(洗脳)された)私たちの選択でもあるわけですが、これからどう変えられるのだろう?
という悶々とした思いを抱えながら、とりあえずは己の半径3m以内をご機嫌元氣にすることを目標として生きていくしかない。
成熟とは複雑化すること、と樹センセは『複雑化の教育論』で説いています。
「バカは単純化する」
という言葉も然り。
複雑なことを単純化するのではなく、複雑なまま抱えて生きることがヒトの成熟には不可欠という説、私は激しく共感するです。
中井久夫の本も読んでいまして、こちらは政治とはやや距離を置きたいとき、夢や樹木の話などで筆者のこころの豊かさにふれることができます。
いろんな分野に逃げ場を作っておくのが、ワタシなりの読書活用ですね。