中井久夫「戦争と平和についての観察」 |
一昨日のブログで、なぜ人類は戦争を繰り返すのだろう? と書きました。
中井久夫『樹をみつめて』中の「戦争と平和についての観察」が、これに答えてくれました。
・戦争は「過程」、平和は「状態」で、非対称的である。
戦争はエントロピーの大きい(無秩序性の高い)状態で、戦争は自分の後始末ができない。
・平和は無際限に続く有為転変の状態で、非常に分かりにくく、目に見えにくく、心に訴える力が弱い。
部屋を散らかすのと、片付けるのとの違いと考えると分かりやすい。
戦争では散らかす過程が優勢で、戦争では男性の中の散らかす「子ども性」が水を得た魚のようになる。
「片付け」(秩序)にも、快適さをめざして整えられた部屋と、強迫的に整理させられた部屋の違いがある。
後者の場合、硬直的で自己維持性が弱く、しばしば戦争準備状態、あるいはその裏にほしいままの腐敗が生まれている。
また、部屋の整理で出される廃棄物をどこかに排出しなければならない。
マキャベリ:「国家には時々排出しなければならないものが溜まる」
なるほど、国家は内部の葛藤や矛盾や対立の排せつのために戦争を行うと考えれば、理解できなくもない。
平和が続くにつれ家庭も社会も世間も国家も、全体の様相は複雑化、不明瞭化し、見通しが効かなくなる。
未来は今より冴ないものに見え、暗くさえ感じられ、社会全体が慢性の欲求不満状態に陥りやすい。
周期的に失業と不況におびえるようになる。
被害感が強くなり、自分だけが疎外されているような感覚が生まれ、責任者を見つけようとする動きが煽られる。
言えてますよね~。
これまで「平和ボケ」を懸念してましたが、「平和ぼけ」上等です。
今の倖せに感謝しながら、戦争準備をぜひとも回避させなくては、ね。
精神科医の視点での戦争と平和、非常に納得できました。
『「思春期を考える」ことについて』も興味深い章が並んでいます。
内田樹センセの教育論ともつながるような予感。
それにしても、この2冊、出版社は違っても、どちらも樹の表紙ですね。
中井先生の感受性ゆえかしら?