2023年 06月 07日
『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』 |
おはようございます。
夕べ『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』を読み返しながら、氣づいたことがあります。
宮沢賢治は己を癒し、癒されるために作品を紡いでいただけでなく、時代や社会の矛盾などもひっくるめて、それらをどうしたらいいかと考えたのでは?
村上春樹の場合は井戸を掘るが、賢治は天空から透徹した視点をもって見つめ、考え続けたのでは?
本著作では賢治について一言も触れていない。
それなのに村上春樹の発言の端々に賢治を感じるのだ。
正直、これまで村上作品には拒絶反応しかなかったのだが、やっと読めるようになったのだろうか?
そして改めて、河合隼雄先生の懐の深さにこころが震える。
村上春樹が河合先生の前で、心情を吐露する。
それをさりげなく掬い上げ、村上が本当に目指したい方向にそっと後押しする構図が読み取れる。
いっさいの押しつけがない。
ま、そういうこともありますなぁ、と。
こういう方が話を聴いてくれたら、どんなにかこころが休まるだろう。
今朝、ふと「待つ力」というフレーズが思い浮かんだ。
河合センセは「待つ専門家」だった。
「なにもしないで待つというのは、そりゃ疲れますよ。しかし、待つしかない」
「ただそばにいる」ということも、よく言われる。
そーか、待つ力、ね。
思えば、これまで「待つ力」がないばっかりに、無駄な動きをしてきたのだった。
これで、まわりにもだいぶ迷惑をかけた。
いまさら謝ってすむ話ではないが、氣がついたので謝っておく。
待てずにごめんなさい、申し訳ありませんでした。
今はとりあえず、己のなかの準備が整うまで待つ力。
焦らず、待つ力を蓄えよう。
by cs-nanri
| 2023-06-07 09:28
| 本がなければ