2023年 06月 07日
『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』 |
おはようございます。

園芸用ブリコラージュ 
一晩経って発酵しているのがわかる。 
アジサイの挿し木
昨日は2か月ごとの歯科検診と歯のクリーニング。 健康保険はもう何年も歯科以外に使っていない。 できれば死ぬまでそうありたい。
ついでに図書館に本の返却。 しばらく図書館から本を借りるのも止めることにした。 図書館の本を借りると、それを返却日までに読まなければというループに入ってしまうのが氣せわしくなったのだ。 借りるとなると、あれもこれもと借りてしまい、結局読み切れず、これで罪悪感も生まれる。 意味ないじゃん。 思い切って止めること。
とまぁ、昨日はあれこれ、今後の方針を軌道修正できた日だった。 ありがたや。
今日もご機嫌元氣な1日を。
夕べ『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』を読み返しながら、氣づいたことがあります。
宮沢賢治は己を癒し、癒されるために作品を紡いでいただけでなく、時代や社会の矛盾などもひっくるめて、それらをどうしたらいいかと考えたのでは?
村上春樹の場合は井戸を掘るが、賢治は天空から透徹した視点をもって見つめ、考え続けたのでは?
本著作では賢治について一言も触れていない。
それなのに村上春樹の発言の端々に賢治を感じるのだ。
正直、これまで村上作品には拒絶反応しかなかったのだが、やっと読めるようになったのだろうか?
そして改めて、河合隼雄先生の懐の深さにこころが震える。
村上春樹が河合先生の前で、心情を吐露する。
それをさりげなく掬い上げ、村上が本当に目指したい方向にそっと後押しする構図が読み取れる。
いっさいの押しつけがない。
ま、そういうこともありますなぁ、と。
こういう方が話を聴いてくれたら、どんなにかこころが休まるだろう。
今朝、ふと「待つ力」というフレーズが思い浮かんだ。
河合センセは「待つ専門家」だった。
「なにもしないで待つというのは、そりゃ疲れますよ。しかし、待つしかない」
「ただそばにいる」ということも、よく言われる。
そーか、待つ力、ね。
思えば、これまで「待つ力」がないばっかりに、無駄な動きをしてきたのだった。
これで、まわりにもだいぶ迷惑をかけた。
いまさら謝ってすむ話ではないが、氣がついたので謝っておく。
待てずにごめんなさい、申し訳ありませんでした。
今はとりあえず、己のなかの準備が整うまで待つ力。
焦らず、待つ力を蓄えよう。
そして昨日はバナナの皮と、珈琲の出がらしで堆肥作りに挑戦。



by cs-nanri
| 2023-06-07 09:28
| 本がなければ