2023年 09月 16日
理解の半歩手前で踏みとどまる |
おはようございます。
今日は暑くなりそうです、お出かけを中止しておうちでダラダラしようっと。
ときどき寄り道しながらも、河合隼雄再読の旅を続けています。
「理解の半歩手前で踏みとどまる」
そもそも理解はありえない。
それぞれが勝手に分かったつもりになっているけれど、微妙に食い違っている。
始末に負えない、残念なヒトというのは、これが分からない。
ワタシもそうだった……。
河合センセの口癖は「わかりまへんな」。
クライアントにしたら、簡単に分かってたまるか、というのもある。
そして、臨床を重ねるほど、「治す」のではなく、最後は人知を超えたものにゆだねるしかないと、なっていった(ワタシの読み取り方では、ね)。
1度うまくいったからといって、次もうまくいくとは限らない。
分かった氣にならないこと。
わかりまへんな。
決して逃げの言葉ではなく、ちょっとずらす言葉だと思う。
答えを期待する人に対して、安易に答えるのではなく、もう1度おのれで考えるよう促す。
質問する人はすでに自分の答えを持っているもの。
それを肯定されたら、いいヒトになる。
否定されたら、まぁ、なんと言われるか分かりますよね。
どちらでもなく、分かりまへんな。
先生がユングを超えて(土台に組み込まれている)、晩年仏教に傾倒していったのも、自然の流れだったと思います。
理解しようとする姿勢が大切であって、理解すること(そもそも不可能)を目的にしない。
すれ違いを楽しむ余裕。
この余裕は、あまり深く関わらないことでもある。
たまにちょこっと会うくらいにとどめておく。
我慢とは違う、ほどほどの距離。
年をとったら、孤独が心地よくなる。
ワタシの場合、どんどん人付き合いが減っています。
その分、絶妙のタイミングで必要な人が現れる。
これで十分です。
by cs-nanri
| 2023-09-16 08:30
| ピピピッピッ!